Home » ミャンマー » 自灯明・法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう) 釈尊最後の説法
12月
26

 

 

釈尊は弟子の阿難(アーナンダ)と伝道旅上に病んだ。

 

阿難は「師が亡くなられたら、私は誰に教えを求めたらいいでしょう」と嘆きます。

 

「阿難よ、そんなに私ばかりにもたれてはいけない。

自分自身を灯明(ひかり)として、自分自身を依りどころとするがよい。

法(真理)を灯明(ひかり)とし、法を依りどころとするがよい。他のものにたよってはならぬ」

 

と釈尊はさとした。

 

 

日本人でも多くの人が知っている釈尊の有名な説法です。

 

同じ仏教徒でもミャンマーの人たちがこの説法をどれ程の人たちが知っているのだろうか。

 

坊さんたちはこの説法を信者に伝えているのだろうか、伝えていないとすれば怠慢だ!

 

 

ミャンマーのリーダー達が各国を回り発展途上のミャンマーに支援を要請する行動は、一見国の為のように見えるが果たしてそうなのだろうか。

 

中国の社会学者がミャンマー人は東南アジアで一番プライドが高いと分析しているが、現状のミャンマー外交は大切なプライドを捨ててしまったかに見える。

 

仏教徒なら釈尊の説法を十分理解して自立の道をなぜ切り開かないのだろうか不思議でならない。

 

他にたよった成功は基盤が弱く意外と脆いものだ、怒涛の発展より地道に確かな基盤を作り発展する方が国家国民の為になると思うが・・・

 

このことにミャンマー国民はいつ気付くのだろうか?

 

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2 Responses to “自灯明・法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう) 釈尊最後の説法”

  1. ヤポニェッツ
    12月 26th, 2016 at 01:31 | #1

    ミャンマーの仏教界は力を持っているイメージですが、政治家に進言したりしないのでしょうか?

    まさかお坊さん自体、、、オダムドウ的に?、、、ははは(汗)

    しかしあんだけ祈るのに、かたや仏法の理念も消し飛ぶいい加減さをみせるミャンマーの一般ピープルは、、、
    整合性が取れていない気がするのですが、きっと彼らからしたらこちらもそう見えるのでしょう。
    一概に、肌で感じる感覚を“同期”するのは困難だなと思います。。。
    日本で過ごした時間以上にミャンマーで過ごせば、少しは理解出来るかもですね。。。

    いやはや、エイトマンさん長生きして下さい(笑)

    いや〜良い教えなら信仰が政治に影響するの全然ウェルカムですね〜
    政教分離なんてナンセンス!今の宗教家も正しいと思うならムハマンドぐらいのやっちゃえばいいんですよ!

    まあ、カルトとスパイはお断りですが(´Д` )

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