Home » ミャンマー, 日記 » 私がミャンマーに住む意義と大東亜戦争
8月
16

私がミャンマーに住まわせてもらっているのは、大東亜戦争と無縁ではない。

 

大東亜戦争中最も無謀な作戦と言われるインパール作戦。

 

この作戦で4か月間に7万余の死者を出した。

 

武器弾薬、糧食の補給もほとんど考えず、また進軍経路の未熟な調査で野砲が無い(持ち込めない)戦を計画立案し強引に作戦を進めた17軍司令官牟田口廉也中将の責任は重大だろう。

 

昭和197月作戦中止命令が出て撤退するときは、弾薬、食料も底をつき英軍から追われ敗走する将兵は病死、餓死者も多く困難を極めた。

 

この作戦で帰還できた多くの将兵は少なからずビルマ人に助けられて故国の土を踏むことが出来た。

 

幼少のころ我が家でよく戦友会が開催された、その時「俺が日本に帰れたのはビルマ人のお蔭だ」との言葉をよく耳にした。

 

幼いながらも、ビルマ人とは優しい人が大勢いるんだと思っていた。

 

時がたち53歳の時初めてミャンマーを訪れる機会に恵まれ、旅行グループから離れ田舎のお年寄りを訪ねて戦時中のお話を伺って歩いた。

 

・チャーハンをご馳走した

 

・家は貧しかったので水だけしか出せなかった

 

・傷薬を塗ってやった

 

・英軍から追われていたので1週間匿った

 

等々のお話を聞き、幼いとき耳にした元インパール作戦従軍兵士の言葉と同じことを確認した。

 

今から18年前のミャンマーは貧しく発展から取り残されていた状況でしたが、自分が何かできないかと思いつつミャンマー通いを始めた。

 

アナログながら自分の持っている技術、ノウハウをミャンマーの為に提供できれば、父親世代がお世話になったお礼が多少たりとも出来るのではとの考えで60歳を期に日本の仕事を止めミャンマーンに移り住んだ。

 

現在、育英会、ミャンマー進出企業へのアドバイス、土木関係の技術指導等を通してミャンマーに少しでも貢献できればと思い活動しています。

 

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One Response to “私がミャンマーに住む意義と大東亜戦争”

  1. 五十嵐 
    8月 16th, 2018 at 16:59 | #1

    陸軍士官学校第16期の三羽烏 岡村寧次 小畑敏四郎 永田鉄山の3人のなかで
    参謀本部第三部長を務めた小畑敏四郎が『統帥綱領』の改定に携わった際に
    第一次世界大戦をロシア駐在で過ごし つぶさに観察 帰国後取り憑かれたように
    「日本は短期決戦でなければもたない」という信念で凝り固まり
    綱領からなんと「兵站」の項目を削除しました
    インパール作戦 ガダルカナル島の戦い 陸軍の兵站軽視が招いた悲劇
    石原莞爾も日本は総力戦を戦うことできないと理解したがすでに時期遅し
    佐高信に言わせると 放火犯の消火作業 だそうです

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